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ライブのお知らせ

 投稿者:なかじまよしお  投稿日:2017年 3月26日(日)23時15分28秒
   今度の日曜日、4月2日に今年初めてとなるライブをやります。浅草クラウドがなくなった今
、もうご一緒することも叶わないと思っていた郷ひろしさんからのうれしいお誘いで、「あつぎ
飯山桜まつり」という野外イベントで「郷ひろし&友美ショー」のゲストとして歌わせてもらう
ことになりました。場所は飯山白山森林公園と言って小田急線の本厚木駅からバスで20分、更
に徒歩10分という必ずしも交通の便は良いとは言えない場所ながら、桜の名所で大きなお祭り
のようです。郷ひろし&友美ショーは午後1時半スタート予定ですが、ぼくらがいつうたうのか
どのくらいうたうのかなど、詳細はぼくらにもまったくわかっていません。野外イベントなので
天候により中止になるかもしれず、気がかりですがたのしみです。
 
 

どぜう落語ツアー

 投稿者:なかじまよしお  投稿日:2017年 3月26日(日)15時28分39秒
   先週の木曜、湯川君と弟子の湯川君と3人で浅草へ。昼過ぎに雷門前で待ち合わせ、どぜう・
柳川・なまず鍋で酒。どぜうを食べるのは初めてだったので、マル(骨抜きしていない)とヌキ
(骨抜きしてある)と柳川(卵とじ)と一通り試してみた。なまずも食べたことないし冬季限定
とのことなので迷わず食す。いい心持ちのまま次は落語。落語も生で聞くのは初めてで、演芸場
の外の看板にも講座の脇の名札にもパンフレットにも演目は載っていないことを初めて知った。
最初の二人がぼくが事前に予習していた古典モノをやってくれて、初心者のぼくはそれだけで
うれしくなってしまった。それから今はなき浅草クラウドに出演していた時に覚えた電気ブラン
を呑みに神谷バーへ。神谷バーは中でバーとレストランと割烹に分かれていて、混んでいるバー
を避けてレストランで呑む。それから弟子の湯川君オススメのコーヒー屋へ行き、最後は浅草寺
で参拝。御神籤を引いたら大吉だった。貧乏してても、いや貧乏してるからこそ、こんな1日の
過ごし方が、たまにはシツヨウさ!
 

デッキブラシと炊飯器

 投稿者:なかじまよしお  投稿日:2017年 3月20日(月)23時43分15秒
   一昨日炊飯器が壊れた。炊飯器ってのは何で何の前触れもなくいきなり壊れるのだろう。他の
電化製品は大概少しずつ調子が悪くなって、最後に限界が来て使用不能になるのに、炊飯器に
限ってはいきなり炊けなくなり、しかも毎日の必需品なだけに本当に困ってしまう。最近は、
妻が鍋で炊けるようになったので、いきなり困ることはなくなったが、それでもやはり困って
しまう。

 壊れると言えば、実家の三和土の掃除に使うデッキブラシが、去年の暮れの大掃除の時に、
まだ数回しか使っていないのにあっけなく崩壊し掃除できなかった。先日新しいのを買って今日
、炊飯器を買ってから実家に行き、数か月遅れでようやく三和土をきれいにすることができた。
 

小平行

 投稿者:なかじまよしお  投稿日:2017年 3月19日(日)19時06分27秒
   今日は小平へ墓参りに行った。同じ霊園内に、以前お世話になった若林家や少なからず関係の
あるナザレン教団の墓があり、ここのところ訪れると広い霊園内を巡っている。若林家の墓では
妻が剛太君のお母さんに気に入られていたことなど思い出し、中島家の墓前では妻が最近画の
仕事がボチボチとではあるが続いていることなど報告した。
 

ギターとライフスタイル

 投稿者:なかじまよしお  投稿日:2017年 3月 5日(日)16時07分8秒
   かまやつひろしさんが亡くなった。かまやつさんと言うと、ぼくにとっては歌では「どうにか
なるさ」や「四つ葉のクローバー」、ラジオでは「ヤングタウン東京」や「フォークビレッジ」
だ。特にラジオ番組の「ヤングタウン東京」でのかまやつさんが即興でギターを弾きながらうた
うコマーシャルのコーナーが好きだった。当時ぼくも何にでもメロディーをつけてうたうという
ことをやっていたので驚きはしなかったが、まだギターを弾き始めて間もないぼくには、彼が
使うテンションコードが新鮮で刺激的だった。極々最近まで家の近くのライブハウス「マーキー
」に出演していた。かまやつさんは本当は高いのかもしれないけど、所謂大御所は使わないよう
なビンテージじゃない変なギターを使うというイメージがあったが、それはライフスタイルの
現れだったのかもしれない。波の下の見えない部分はわからないが、少なくとも波間を漂って
いるイメージがあった。ロカビリーからGS、そしてフォークと流行りの音楽が移り変わっても
、いつもどこかにいた。変幻自在のカメレオンのようでもあった。でも本質は何も変わらないと
いう筋の通った安定感が好きだった。ぼくも現役で逝きたいと強く思った。
 

ロングブランチペニーホイッスル

 投稿者:なかじまよしお  投稿日:2017年 2月28日(火)22時50分41秒
   ずっと長い間気になっていたグレン・フライとJDサウザーによる「ロングブランチペニー
ホイッスル」がついにCD化された。ジャケット写真だけは以前から知っていて、これがよくて
ジャケ買いしてもいいと思っていたが、最近音源もネットでちょっと聴くことがあって、二人の
コーラスがとてもよかったのでますます聴きたい気持ちが高まっていた。実際にアルバムを手に
取ると裏ジャケットの写真もいいし、全体の装丁もよくて得した気分。実際の音は、ポコや
ロギンス&メッシーナなど当時LAで流行っていた音で、まだ彼らのその後の活躍からすると、
個性を確立できていない感は否めない。だけどやっぱり好きなものは仕方がない。ぼくはこの手
のカントリーロックが好きなんだ。
 

伎藝天御守に思う

 投稿者:なかじまよしお  投稿日:2017年 2月27日(月)23時05分14秒
   先日実家に行った際に、叔母と奈良へ行った母から秋篠寺の伎藝天御守をもらった。伎藝天像
は、中国には多くあるが、日本では秋篠寺の一体のみらしい。しかも伎藝天と言えば伎藝の神様
。今まで御守りなんて辛気臭いとずっと思っていたが、今はすんなり受け入れられる。変われば
変わるものだ。それにしてもなぜ「技」ではなく「伎」なんだ。さらに「伎」は「歌舞伎」では
「ギ」ではなく「キ」として使われている。人偏は人を表わし、手偏は手を表わすとすれば、
「技」より「伎」の方が広い意味を持つ。興味は尽きない。

 

聴き手として作り手として

 投稿者:なかじまよしお  投稿日:2017年 2月26日(日)15時36分47秒
   正月用に買った湯浅学「ボブ・ディラン ロックの精霊」を読むと、ディランは元々あるうた
のメロディに自分の歌詞を乗せてうたを作っていったのがわかる。そしてその方法はフォークの
常套手段として先人がやっていることを踏襲しているのだ。日本では高田渡が思い浮かぶ。
ぼくはずっと、そういううたの作り方に「それでいいのか。」と思っていたものだが、段々どう
でもよくなってきて、去年はバンジョー用に、「ジェシー・ジェイムス」という曲のメロディを
借りて、「酒・靴・ズボン」といううたを作ってしまった。

 同じく正月用のスティーヴン・ウィット「誰が音楽をタダにした? 巨大産業をぶっ潰した男
たち」では、mp3という音楽形式の発明によって、ネットで音楽をタダで聴けるため、音楽に
お金を払わなくなった現代の音楽を取り巻く状況が書かれているのだが、ぼくが子供の頃も、
お金がなかったので、だれかが買ったレコードをカセットテープに録音して聴いていた。時代が
変わっても、やっていることは同じかもしれない。音楽が売れなくなることは由々しき事だと
今のぼくは思う。だけど一方で、ライブや音楽フェス等は人気があるそうだ。お金を録音物では
なく、生演奏にかけるのであれば、それはそれでいいことだなとも思う。
 

フォロワーになりたい

 投稿者:なかじまよしお  投稿日:2017年 2月18日(土)19時49分57秒
   ザ・バンド解散後のリック・ダンコとリチャード・マニュエルの1985年のライブのCDを聴く
と、彼らのルーツがよくわかる。ザ・バンドの正規盤だけだとわからない彼らの血や肉に触れる
ことができる。ルーツとは、目に見えないからルーツ(根)なんだ。土壌とか肥しと言った目に
見えないモノが、個性という花や実となるんだな。

 ガロ解散後のトミーとマークによるガロ3分の2のライブ音源をYouTubeで聴くと、やはり
ガロの正規盤ではわからない彼らの曲間のMCが新鮮だ。

 リックもリチャードも、マークもトミーも今はこの世にいない。ぼくは彼らのフォロワーで
いたいと強く思う。
 

ジョン・レノンセンス

 投稿者:なかじまよしお  投稿日:2017年 1月30日(月)22時31分18秒
   妻からの誕生日プレゼントの中に、ジョン・レノンの「In His Own Write」邦題ジョン・
レノンセンスがあった。存在は知っていたけど、読むのは初めてだ。この本を読むと、ジョンが
作るうたは、見えているジョンのほんの1部分でしかなく、見えていない根(ルーツ)の部分が
ここにはあると思う。また、ジョンのうたの突飛な不可解な表現も、この本に比べれば窮屈な
印象すらあるし、本当はこの本にあるような表現がしたかったけれど、うたの中では制約が
あったのだろうということも容易に想像される。ジョンの表現は、うたという狭い世界には
収まりきらないものだったんだ。更に、この本にあるジョンのことばあそびをよりダイレクトに
味わいたいなら、原語で読む必要がある。いずれにしても、受け手に多くを求める、これがこの
本がアートである証しだ。
 

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