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人が人を裁くということの難しさを思い知らされた象徴的な最高裁判決がつい最近ありましたね。
電車内で痴漢行為をしたとして強制わいせつ罪に問われた大学教授の逆転無罪判決がそれです。
5人の裁判官のうち、無罪と認定した3人の裁判官は、法廷における被告の態度等から直感的に犯罪行為の事実なしとの判断に至り、後から無罪の理屈をつけたのではないか、私にはそのように思えてなりません。
真実を語る人間の真摯な姿勢態度は、ウソをついている人間と、やはりどこか違うものがあると私は思いますし、そう思いたいです。
しかし、そうは言っても、難しきは、やはり人間の内面です。
一定の証拠資料を判断材料として、被告の内面まで踏み込んでいかなければならない難しさ(故意か過失かの認定等)、人を裁くということは、やはり容易な事ではないということです。
無罪と無実は、明らかに次元を異にした問題にほかなりません。
被告人の人権擁護のために、弁護人がその前面に立って弁護活動のために積極的に行動することに、異論を挟む余地とてありませんが、一方、被害者側の人権も無視することはけっして許されるはずもありません。
ややもすると、昨今の弁護活動が、冤罪の名の下に無罪判決を勝ち取るために躍起となっている傾向が、被害者側の感情を逆なでしているのではないか、という気がしてなリません。
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